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バロックパールの歴史

バロックパールの歴史

・4000年前にも真珠が!? 卑弥呼も魅了したバロックパール

縄文後期(4500~3300年前)の日本最古の真珠!?

世界各国で数千年前から天然真珠が採れた史実がありますが、日本の真珠文化の発祥はいつ頃なのでしょうか?
そのルーツを探ってみましょう。

日本で採取される真珠はあこや真珠が有名ですが、その発祥を紐解くヒントが貝塚に隠されています。

貝塚は、貝類を常食に適した地に居住する人々が日々食した貝殻を投棄し続けたものですが、あこや貝が多く含まれた貝塚が主に九州地方で見つかっています。

そして日本の真珠文化の発祥は、鹿児島県西岸の草野貝塚(縄文後期)という説があります。

おそらく日本、最古の真珠が発見されたこの貝塚の中からは2㎜~5㎜のあこや真珠のバロックパールが8個、貝付き真珠が5個見つかっており世界的に見てもきわめて貴重な遺物と言われています。

太古の時代から真珠の美しさが人々を魅了したと想像すると、とても印象深いヒストリーです。

最古のバロックパール(鹿児島市立ふるさと考古歴史館展示)

卑弥呼も魅了したバロックパール

縄文時代が終わり弥生時代になると、日本は真珠の産地として中国に知られるようになりました。
当時、真珠は貴重な貿易品として使われていたことが魏志倭人伝の記述から伺えます。

その魅力的な歴史は、中国の歴史書・三国志の第30巻に日本人(倭人)についての記述があり、
魏(中国にあった国名)の皇帝が卑弥呼に真珠50斤を贈ったことや、卑弥呼の後を継いだ壱与が魏の皇帝に5000個の真珠を贈ったという記述があります。

当時は偶然に発見される天然真珠しかなく、形状は現在で言うバロックパールであったと想像できます。
天然真珠の産出は数万個に1~2個しか発見されないと言われており、5000個と言えば途方もなく貴重で、貿易品の中でも最も重要な品の一つでした。

今も昔も海を越えて愛された真珠は、その美しさゆえに装飾品としてはもちろん貿易品や献上品など、人々を魅了していた証が伺えるヒストリーです。

真珠は最高の宝石だった

インドで生まれた仏教経典のひとつである法華経では、真珠は金、銀、瑠璃、琥珀、瑪瑙、水晶とともに七宝に数えられていました。このようなことから、仏教文化では真珠は最高の宝石のひとつだったと言われています。

また七宝のミニ知識ですが、この七宝(真珠、金、銀、瑠璃、琥珀、瑪瑙、水晶)は七宝焼き(エナメル)の語源となっています。

「七宝を集めたように美しい」という意味から名づけられた七宝焼きは、金属の表面にガラス質のうわぐすりで模様を描き高温で焼く伝統技法で、日本では奈良・平安時代に始まったと言われています。西洋でもエナメルとしてさまざまな品に使われる技法です。

・バロックパール、古代オリエントとヨーロッパの真珠文化

古代オリエントの真珠産地はふたつあったようです。アラビア湾と南インドのマンナール湾で、これらの地域の人々は真珠貝が生み出す真珠を珍重していました。一方で、ヨーロッパの人々は、この貴重で美しい海の真珠に憧れるようになっていきました。ヨーロッパ古地図

プリニウス真珠

古代ローマの博物学者プリニウスによると、自然の壮麗さは一つの宝石に凝縮されていると述べているように、真珠もまた最高の宝石と位置付けられていました。プリニウスの博物誌の中で真珠はダイヤモンドと同じように貴重な品とランクづけられていました。また、「貴重品の中でも第一の地位、最高の位が真珠によって保持されている」(中野定雄他訳)と称されるほど、美しさの中心に真珠が位置していました。

クレオパトラと真珠

世界三大美女と呼ばれエジプト最後の女王となったクレオパトラと真珠には、変わったストーリーがあります。

クレオパトラは、ある大粒なバロックパールのイヤリングを保有していました。
当時は、そのイヤリングの価値が金570キロ分と言われていたので、現在の価値にすると約37億円の価値をもったイヤリングでした。

ある日のローマの政治家アントニウスを招いた贅沢な宴会でのこと、クレオパトラとアントニウスは賭けをすることになります。
その賭けとは、クレオパトラが一晩の宴会で数十億円を費やす豪華絢爛な宴を催すことができるか、というものでした。

クレオパトラはどのような勝負をしたのか?

真珠が酸に溶けやすいという性質から、クレオパトラは酢を入れた盃にその真珠を入れ溶かして飲み干してしまったそう。

この度肝を抜かれた宴は、長く語り継がれるエピソードになりました。

エジプト壁画

バロックパールと西洋美術

16世紀後半から18世紀にイタリアで始まったバロック様式は、ミケランジェロの設計したサン・ピエトロ大聖堂が始まりと考えられています。
そのバロック様式という名称の語源とされているのが、真珠に使われているバロックです。

バロックと呼ばれる真珠は「歪な」という意味合いですが、美術様式になると建築や彫刻、絵画、装飾などが複雑に入り混じった壮麗かつ豪華な総合芸術と昇華されています。

バロック様式という総合芸術という複雑さは、天然真珠が採取された偶然性や美しさ、希少性、形状など、偶然が重なり合った複雑さと因果関係があったのでは、と感じてなりません。

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参考文献

□真珠の世界史 山田篤美 中央公論新社 2013年

□パールジュエリー 平凡社 2009年

 

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